このコラムでは、元電機連合 書記長、元東芝労働組合 中央執行委員長、東芝グループ連合初代会長として、長年にわたり労働組合の現場と向き合ってきた泉田和洋が、自身の経験をもとに、今の組合役員や組合員と一緒に考えていきたいことを綴ります。
5月1日は「労働者の祭典」と言われる「メーデー(May Day)」の日になります。
日本におけるメーデーは、今年、「第97回開催」を迎えることになります。
この「メーデー」について、その起源を振り返りながら、私の「メーデーへの思い」をお伝えしたいと思います。

メーデー宣言を発表する筆者(1976年川崎地区メーデーにて)
メーデーの起源は、今から141年前の1886年(明治19年)の5月1日に遡ります。
この年に、アメリカの労働組合連盟(後のアメリカ労働総同盟)が、シカゴで、「1日の内の8時間は労働(仕事)に、8時間は休息に、8時間は好きなことをする時間に」として、それまでの12時間から14時間の労働時間を8時間にすることを求めて統一ストライキを行ったことが起源とされています。
その後も、5月1日に労働条件の改善を求めて行動を起こしたことから、「メーデー(May Day)」として世界に広がり、「国際的労働者の祭典」となっていったとのことです。
メーデーにおける「労働条件ならびに政策制度の改善と生活の安定」を求める内容は、その時代によって異なりますが、シカゴにおける第1回メーデーで示された「1日の内の8時間は労働(仕事)に、8時間は休息に、8時間は好きなことをする時間に」という要求は、現在、労働組合が、あるいは労使で取り組みを進めている「ワーク・ライフ・バランス(仕事と生活の調和)の実現」への取り組みの起源としてとらえることもできるのではないかと思います。
日本における第1回メーデーは、今から106年前の1920年(大正9年)の5月2日(日)に大日本総同盟友愛会の主催により、「8時間労働制、最低賃金制の確立、失業の防止」などを求め、上野公園でおよそ1万人が参加しての開催が起源とされています。
この第1回メーデーは、「日本において労働者が組織化され労働者の権利や主張を明確に示した歴史的なイベント」として伝えられています。
翌1921年(大正10年)から5月1日に開催されるようになりました。
その後、メーデーは1935年(昭和10年)第16回まで開催されましたが、1936年(昭和11年)の2・26事件で戒厳令が敷かれたのを機に禁止され、その後、1945年の第2次世界大戦終戦まで開催されることはありませんでしたが、翌年(1946年・昭和21年)に第17回メーデーとして復活しました。この復活が日本におけるその後のメーデーの継続につながっていることを考えると、この復活には意義深いものを感じます。

第96回メーデー中央大会の様子
このような歴史を経て、今年の第97回メーデーが開催されることになりますが、近年では、4月末に開催する労働団体と5月1日に開催する労働団体に分かれての開催となっています。
今年の第97回メーデーは、それぞれの日程で労働条件ならびに政策制度の改善と生活の安定、そして、世界平和などを求める集会として全国各地で開催されることになると思います。
組合役員OBである私にとって、メーデーはその年その年の労働組合活動への取り組みを思い起こさせ、元気を与えてくれる大切なイベントになっていることからも、このような歴史を創り築いてこられた先人の皆様のご労苦とご功績に思いを馳せながら全国各地のメーデーが盛会裡に開催されることを願いたいと思います。
そして、現役組合役員の皆様には、これまでの歴史の上に、それぞれの組合の特徴ある新たな歴史を、是非、創り出し築いていっていただきたいと思います。
この記事を書いた人
泉田 和洋
Kazuhiro Izumida
j.union株式会社 顧問
元電機連合 書記長
元東芝労働組合 中央執行委員長
東芝グループ連合 初代会長
元株式会社コンポーズ・ユニ代表取締役社長

